50年ぶりのお墓参り
年末に娘や孫たちと義父の墓参りに行った。暮れも押し迫った時期に義父は、65歳で黄泉の国に旅立った。そのために夫は、何の準備もなく突然経営を引き継いだ。只々やみくもに必死になって働いた気がする…。年の瀬の寒い日だった。
そして、さして信心深い人間でないわたしが1月24日にお墓参りに行った。
今回は、50年目という節目だからどうしても彼女のところに行っておきたかったのだ。自宅から車で30分ぐらいのところに彼女のお墓がある。
彼女との最初の出会いは、中学1年生の時同じクラスで隣同士の席になったことだ。
お互い次女だったのでウマがあった。田舎育ちの私を街中に住む彼女が色々教えてくれた。彼女は、建設会社の社長令嬢でご両親もとても良い人だった。
私は、親の都合で越境入学してその中学では、誰も知合いがいなかった。心細い私に始めて声掛けてくれたのが彼女…だった。2年生になりクラスが違っても仲良く遊んだ。図書館で一緒に勉強したり郊外学習でキャンプに行ったりと四六時中一緒に遊んでいた。下校時も待ち合せて帰るぐらい仲がよかった。時折口喧嘩もして一週間ぐらい話をしない時もあった。幼いながらも楽しい時間を共有できた友人の一人だった気がする…。
高校生になるとお互い別々の学校に進学した。彼女は、大学附属高校へ私は、地元の県立女子高へ。
しかし、土曜日に駅で待ち合せて買い物や彼女の家で将来のことや学校の話をして過ごした。。。。
高1の夏休みに彼女が急に入院することになったと連絡して来た。お腹の中に悪いものができたので手術するの。2学期中休学していたので退院後も彼女を毎週末見舞っていた。
今思えば、若かったので進行の早い癌だったらしい。心配かけまいとお母さんは、何も言わなかった。
早く高校に戻れることばかり話していた。3学期が始まり、彼女の自宅へ見舞いに行くと殆ど寝ていることが多くなっていた。無理して起きようとする彼女を引き止めた。
朝のホームルーム前に教室へ彼女の家の近くに住む友人が「今朝、Sちゃんが亡くなった」と教えてくれた。3日前にお見舞いに行ったのが最期になってしまった。私があげた手編みの手袋を棺に入れてくれた。
16歳だった私がこの時に悟ったことは、生きていることに感謝することだった。人生、先のことは、誰にもわからないから一生懸命に生きよう!と思った。
今思えば、彼女よりも50年も余計に生きている自分に「頑張れ!」って言いたい。。。。。
生きている時間は、限られている。あの世に行ったら多分彼女は、私が判らないだろう!
おばちゃんにイヤ、おばあちゃんになっているのだから。。。。
さて、お寺さんに行ったが困った彼女のお墓の場所がわからない。なにしろ50年ぶりぐらいだから和尚さんに場所を聞きお花を手向け無事お墓参りができた。
「Sちゃん、ご無沙汰してます。ようやくお墓参りにこれました」
「私、Sちゃんの分まで人生楽しんだよ。でももう少しこの世を観て見たいからこちらでがんばるね」
かなり感情的なブログになってしまい申し訳ない。
~2008年11月に【せっちゃんへのてがみ】というタイトルでブログ書いていた~
最近のコメント