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2017年1月30日 (月)

50年ぶりのお墓参り

年末に娘や孫たちと義父の墓参りに行った。暮れも押し迫った時期に義父は、65歳で黄泉の国に旅立った。そのために夫は、何の準備もなく突然経営を引き継いだ。只々やみくもに必死になって働いた気がする…。年の瀬の寒い日だった。


そして、さして信心深い人間でないわたしが1月24日にお墓参りに行った。
今回は、50年目という節目だからどうしても彼女のところに行っておきたかったのだ。自宅から車で30分ぐらいのところに彼女のお墓がある。


彼女との最初の出会いは、中学1年生の時同じクラスで隣同士の席になったことだ。
お互い次女だったのでウマがあった。田舎育ちの私を街中に住む彼女が色々教えてくれた。彼女は、建設会社の社長令嬢でご両親もとても良い人だった。
私は、親の都合で越境入学してその中学では、誰も知合いがいなかった。心細い私に始めて声掛けてくれたのが彼女…だった。2年生になりクラスが違っても仲良く遊んだ。図書館で一緒に勉強したり郊外学習でキャンプに行ったりと四六時中一緒に遊んでいた。下校時も待ち合せて帰るぐらい仲がよかった。時折口喧嘩もして一週間ぐらい話をしない時もあった。幼いながらも楽しい時間を共有できた友人の一人だった気がする…。

高校生になるとお互い別々の学校に進学した。彼女は、大学附属高校へ私は、地元の県立女子高へ。
しかし、土曜日に駅で待ち合せて買い物や彼女の家で将来のことや学校の話をして過ごした。。。。


高1の夏休みに彼女が急に入院することになったと連絡して来た。お腹の中に悪いものができたので手術するの。2学期中休学していたので退院後も彼女を毎週末見舞っていた。
今思えば、若かったので進行の早い癌だったらしい。心配かけまいとお母さんは、何も言わなかった。

早く高校に戻れることばかり話していた。3学期が始まり、彼女の自宅へ見舞いに行くと殆ど寝ていることが多くなっていた。無理して起きようとする彼女を引き止めた。

朝のホームルーム前に教室へ彼女の家の近くに住む友人が「今朝、Sちゃんが亡くなった」と教えてくれた。3日前にお見舞いに行ったのが最期になってしまった。私があげた手編みの手袋を棺に入れてくれた。

16歳だった私がこの時に悟ったことは、生きていることに感謝することだった。人生、先のことは、誰にもわからないから一生懸命に生きよう!と思った。

今思えば、彼女よりも50年も余計に生きている自分に「頑張れ!」って言いたい。。。。。
生きている時間は、限られている。あの世に行ったら多分彼女は、私が判らないだろう!

おばちゃんにイヤ、おばあちゃんになっているのだから。。。。


さて、お寺さんに行ったが困った彼女のお墓の場所がわからない。なにしろ50年ぶりぐらいだから和尚さんに場所を聞きお花を手向け無事お墓参りができた。

「Sちゃん、ご無沙汰してます。ようやくお墓参りにこれました」

「私、Sちゃんの分まで人生楽しんだよ。でももう少しこの世を観て見たいからこちらでがんばるね」

かなり感情的なブログになってしまい申し訳ない。

~2008年11月に【せっちゃんへのてがみ】というタイトルでブログ書いていた~

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コメント

いいお話をありがとう。
私にはそのような経験はありませんが、娘はあります。
小中の友達が高校生の時なくなりました。中学の時発病、卒業式は病院からストレッチャーでの参加でした。二十歳くらいまで毎年命日近くに娘は彼女の自宅にお参りに行ってました。娘も忙しくなって行かなくなってしまいましたが、娘は美術の世界にいるので展覧会があるときには今も案内を送っています。娘も自分が生きていることのありがたさを知ったようです。

heartナカムラのおばちゃんさま

そうでしたか?お嬢さんのお友だちも若くしてこの世を去られたのですね。

生きていることは、決して偶然でなく明日がわからないという気持ちでと思うのですが当たり前の日常に流されていくのですね。
私も20歳頃にお墓参りに行った切りでした。自分のことで精一杯だったのでしょうね。1月24日ごろになると思い出すのです。
ナカムラさんもどうぞ日々楽しくお過ごしくださいね。

私は母を亡くして母との思い出は何も覚えていないでこの歳になった。
50年の法要はとっくに済ませた。
最近仲良しの友達が次々にさよならをした。
いなくなってさ、メールもこない電話もかけられない、寂しさをすごく感じます。
こんなことがあったこんな話をしたとことあるごとに思い出します。
 人はなくなるとどこに行く?  亡くなったひとは心の中で生きているんだって。
私がいなくなったら子どもの心、孫の心で生きているがそのあとは忘れられるね。
 遺影を見た曾孫は「この人誰?」と聞くね。
父の実家に行くと私の知らないおじいさんやおばあさんの写真が飾られているもん。
  命ある限り楽しく暮らそうよ〜〜感謝しながら。

heartせせらぎさま

せせらぎさんは、お母様の記憶が少ないのでしたね。きっとお母さんも
幼いお子さんを残しての旅立ちは、さぞ残念だったでしょうね。

多分、せせらぎさんのお顔の中にお母さんがいるのでは、ないですか?
私もこの頃母親の顔に似てきています。

せせらぎさんのおっしゃる通り曾祖父やひいおばちゃんだれ?って感じがありますね。祖母の思い出は、まだ記憶していますが。
忘れられる運命ですが先祖から繋いできた命ですからね。
本当に健康が第一ですから。。。。楽しく生きましょうね。

いや〜お顔の中に母ありです。
一枚しかない母の写真、自分ではわからないですが夫殿が「そっくりじゃん」と言います。
声は残っていませんが、話し方が似ているんだって!
 娘を生まなかったから私に似た子供ができない。
あっ!息子、お兄ちゃんが似ているらしいからよかった〜(笑)

heartせせらぎさま

そうですか?たった1枚だけのお母様の写真大切になさってね。

ある年齢になると母親の顔に似ているという瞬間がありますよね。
息子さんがせせらぎさんに似ているのですね。うちも息子は、私に似てます。
娘は、父親に似ているので小柄で義母にそっくりです。
うまくつながっていますね。うふふ、、、、。

病気にさえならなければ、いろんなことを経験しどんなにか人生を楽しめただろうに・・・。

一方、私たちはほんとにずいぶん長く生きてきてしまいましたね。

これからも必要とされている限りは・・・必要とされなくなっても、命ある限りは生きてやろうじゃありませんか。開き直り。

そういうわけで、私はのちのち天国へ行ったら、亡夫に会えるかもしれないとすごーく楽しみです。生きている限りは絶対会えないので。

heartひろみママさま

先日お嬢さんのお腹にいるお孫ちゃんが男の子とお聞きしてもしかしたら旦那様の生まれ変わりかしら?って思いました。非科学的なことですがそんなふうに思ってしまいます。
高校生で亡くなった友人もどこかで生まれ変わってこの世に来ているかも?
そう考えたら気持ちが楽ですね。

ひろみママさん、旦那様にあえるまでゆっくりじっくりのんびり人生楽しみましょうね。まだまだやりたいことがいっぱいありますからね。

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